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あなたが生み出す問いについて—西原孝至監督インタビュー【前編】

文: 藤木耀・佐生佳

―なんか社会とかどうでもよかったんでしょうね、震災まで。

藤木映像自体を最初に撮り始めたきっかけはなんですか?

西原それはね、高校のときは野球部で、全然映像とかやってなかったんですけど。でも、大学進学するときに、昔から映画観るの好きだったから、「映画とか作るの面白そうだな」くらいのすごい軽いノリで東京に出てきて。で、映画すごい観て自主映画とか作って、すごく面白かったから仕事になるかなあみたいな感じで淡々とやってて。

 おれが28の時に震災が起こったんですけど、それまでの二十代の前半とかでは、うまく言えないんだけど、なんか社会とかどうでもよかったんでしょうね。どうでもいいっていうか諦めてるっていうか、すごい冷めた人間だったんです。

そうなんだけど、震災があってから普通な感覚かもしれないですけど、向き合うようになったっていうか。社会に対して。あんまりうまく言えないんだけど。

藤木SEALDsの多くのメンバーとかだったら、これから将来どうしようとかって思い始める時期に震災があったんだと思うんですよ。

西原そうだよね。

藤木僕は1994年生まれで、いま21歳なんですけど。高校一年生とかの、ちょっと将来のこと考え始めたぐらいで震災が起きて、社会でいろんなことが言われ始めて。たとえば後藤正文さんとかが新しく媒体をつくってメッセージを投げかけたりみたいな、問いかけてる人が増えてきて。「これからどうしようかな」みたいなことを思っていました。

西原あー、あれなのかな。社会ってものを諦めてたっていうより、社会はちゃんとあるから、別におれがどうこうしなくいいかなと思ってたのかな。

 でも震災があってからは「全然この社会ってだめじゃん」みたいな問題が露呈したっていうか、たしかなものなんてなにもないんだなみたいな。だったら自分もアクション起こして、この社会がちょっとでもよくなるためになんかしないといけないなみたいな意識が芽生えた。

―髪の毛染めに行くっていってたから、「面白そうだな」みたいな(笑)。軽いノリで行った。

藤木映像を撮影編集されてた期間ってどれくらいだったんですか?

西原撮影は半年くらいかな。5月から最後11月くらいまで。編集は4か月くらい。9 月から12月まで。

藤木全部で撮った素材の長さってどのくらいですか?

西原それはね、200時間くらい。

藤木200時間くらい!!?

西原映画の時間はちょっとやっぱり悩んだっていうか、なんかまあ長いじゃん(笑)。165分ってさ。おれも観客として観るのは90分くらいの映画が好きだから、「あちゃー」みたいな。

 編集にも何段階かあって、まずラフに繋ぐ段階で3時間くらいになって、あちゃー3時間か、みたいな。それでどうしようかなと思って。一回短くもしてみたんだけど、短くしたら面白くなくなっちゃって。きっとスピーチとかは、あんまりカットせずに長く見せた方が言葉の力が伝わるなと思って。で、今ぐらいの長さにして、そしたら2時間45分になっちゃって(笑)。

藤木短くしていたときに削っていったものって、なんだったんですか?

西原例えばみんながコンビニに買い物にいってるときに、くだらない―くだらないっていうか日常の話をしてるとこだったり。はなみちゃんのスピーチの言い淀んでる間だったり。一言一言を使うように編集したら、ちょっとエネルギーが逃げちゃうような感じがして、結局あのスピーチまるまる残しました。まあ映画にはなんの関係もないじゃん、コンビニ行くシーンとか(笑)。なんの関係もないっていったらあれだけど。

藤木そうですね、鳥が水に潜るシーンとか、僕は面白いなーって思ってました。「猫飼いたい」って言ってたりとか。

西原ああいうなんか本線とは違うんだけどそういうシーンは残したかったんだよね。

藤木編集してるなかで、最初のラフとかでは入れてたけど本編にするときに泣く泣く削ったシーンとかありますか。

西原基本的に時系列でやってるんだよね。本当は8月30日の前にも、たとえば1週間くらい前には全国若者同時デモとかあったし。30日の後も新宿の街宣とか、伊勢丹前でやったやつとかあるから。その辺どうしようかなとは思ってたんだけど、結局入らなかった。

 あと、それこそ奥田くんの中央公聴会とかは、一瞬全部まるまる入れようかと思ったんだよね。でもおれがあの中央公聴会のなかで一番大切と感じた部分、まあ全部素晴らしい文章なんだけど、国会前の巨大な群像の中のひとりとして国会に来てますっていうのがあったじゃん。そこに、一番奥田くんが呼ばれた意味があったかなって思って。

 一番最後に「孤独に思考し判断してください、たった一人の個人でいてください」みたいな言葉があるよね。一回お客さんから、「あそこの言葉すごい好きなんですけど、なんで映画で使ってくれなかったんですか?」みたいなことを言われたことがあって。それも分かるんだけど、映画のなかでは、今まであれだけ声上げてて、その声上げてたなかの一人が、市民の代表として国会に上がったっていうことが重要なんじゃないかなって思って、そこで終わりにしました。その辺は結構悩みましたね。どこまで映画に入れ込むかっていうのは。

藤木奥田くんがお洒落しているときとかも撮影されてたんですね。

西原そうそう。あの頃は結構ずっと一緒にいるじゃないけど、最後の方はデモ終わったらいっしょに帰って、次の日もいっしょに行くようにはしてたから。髪の毛染めに行くっていってたから、「面白そうだな」みたいな(笑)。軽いノリで行った。

―映画館だけだと結構限られるんだけど、色んなところでやってくれるんです。

藤木だいたい、全国で何ヶ所くらい上映の関係で訪れましたか?

西原まだそんな訪れたわけじゃないかな。大阪とか名古屋とか5ヶ所くらい。これから北陸の方、石川県とか福井県とか、広島とか。あと自主上映で山梨にいったりとか。15箇所くらいはいくかもしれない。映画館でやってるのはいま10箇所くらいなんですけど、自主上映が結構決まってて。ありがたいですよね。映画館だけだと結構限られるんだけど、色んなところでやってくれるんです。

藤木自主上映がこんなにたくさん映画の上映と同時に起きてるっていうのは、映画の中では結構珍しいことなんですか?

西原そうなんだよね。アップリンクでもなかなかないぐらいの感じ。

藤木実は僕も自主上映やろうとしてたんですよ。でも筑波大学でほぼ同じ日程で大学の先生たちがやるので、僕はやらなかったんです。その上映会では諏訪原さんとか本間君とかが話しに行くみたいで。

西原お、それ楽しそうだね。

藤木6月の22日です。

西原よろしくお願いします。

藤木ありがとうございます。ところで撮影で色んな地方に行かれたと思うんですが、その地方ごとの感覚の違いとかってありますか?

西原うーん、まだ地方のロケいったのは一回京都のデモいったくらいで。でも、京都のデモも6月ぐらいのやつで、すごく良かったんです。なんか知らない人たちが歩道からどんどんどんどん入ってくるような感覚があって。それはすごいよかったですね。

―国会前の抗議が終わったあとに牛田くんが音響設備にiPhoneをつないでiTunesから自分が好きな音楽流してて。それ見たときに、ああなんかこの感じいいなあって思って。

藤木牛田くんの家に行くシーンとか、よくよく観てたら朝のシーンとかありましたよね(笑)。 牛田くんの家に泊まったんですか?

西原そうそう。あれもね、一回は誰かの家に行きたいと思ってて。牛田くんが「あ、全然いいすよ」みたいな感じで。それで家で話聞いたら、お母さんもいて「カレーでも食べて行きなさいよ」みたいに言われて、そしたらなんかビールとかも出されて(笑)。

藤木(笑)。

西原:牛田くんのお母さんが「仕事が終わった後のビールが美味しい」って言っててさ。お母さんがいて牛田くんがいて、手許に実はおれのカレーも置いてある(笑)。それで撮影終わった後にありがとうございますって言ってカレー食って、「ビールもっと飲みなさいよ」みたいな。気づいたら10時半11時くらいになってて、どうしようって。そしたら「泊まっていきなよ」って言ってくれて。まあたしかに遠いんだよね、おれの家から。帰るのもちょっとめんどくさくなって、泊まらしてもらって。

藤木なんか朝のシーンもいいですよね。

西原そうそう、でもお母さんも先に出ていってていなくなってて。ちゃんとお礼を言いたかったんだけど・・・。

藤木牛田くんに関しては、LIVEのシーンもありましたよね。

西原なんかね、ちょっと話変わるんだけど、7月の終わりくらいに安倍NO集会のでかいのがあって。国会前の抗議が終わったあとに牛田くんが音響設備にiPhoneをつないでiTunesから自分が好きな音楽流してて。それ見たときに、ああなんかこの感じいいなあって思って。デモと、好きな音楽をかけるような日常が離れてないっていうか、つながってる感覚がすごいあって。そのシーンは結局映画では使ってないんだけど。

 そういったことを考えたときに、なんていうんだろうな。ずっと社会運動やってるわけじゃないし、自分の生活もあって、音楽活動もやって。そういうなかで社会運動、SEALDsもやってるっていう。「普段どういうふうに過ごして生きているのかな」みたいなとこを、最後にちょっと入れたいなって思って。だから牛田くんの学園祭のところとか、万奈ちゃんの授業のとことか、お願いして、日常を撮影して終わろうと思った。

藤木牛田くんは一緒にいても、なんかいつも本当の言葉で喋ってるなっていうのがありますよね。

西原でも最初はほんとにおれのことスパイだと思ってたみたいだけどね。

藤木(笑)。

藤木前編も終わるってことで、ちょっとだけ個人的なことを言って申し訳ないんですけど。僕は夏の毎週金曜日には参加できてなかったんです。終わり次第国会前の様子とかをツイッターで見て、その後ツイッターのbotとかにその日の国会前のことを書くっていうよく分からない立ち位置で仕事をしてたりして。それから先は、お金を本とかで使いすぎたから、富士山にいってバイトをしてて、バイトをしながらSEALDsのツイッターを操作するみたいなことをしてて。二重生活じゃないですけど、自分の日常と国会前で起きていることがあまりにかけ離れつつも、国会前の方に接近しようとするけどできないみたいな、そういう生活をしていて。

 だから今回映画を観て、断片でしか見てなかったものが一つの物語として見えたのは、自分のなかではすごいありがたかったです。
 


 

『わたしの自由について〜SEALDs 2015〜』は現在アップリンク・横浜シネマリンで公開中。これからも各地の映画館での上映や、自主上映が予定されている。詳しくは公式サイトを参照。

 

西原孝至
1983 年、富山県生まれ。早稲田大学で映像制作を学ぶ。2011 年の初長編作『青の光線』は、大阪アジアン映画祭に正式招待。14 年に劇場公開。次作『Starting Over』(2014)は東京国際映画祭<日本映画スプラッシュ部門>をはじめ、国内外10箇所以上の映画祭に正式招待され高い評価を得る。現在、主にTV ドキュメンタリー番組のディレクターとして活動中。

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