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あなたが生み出す問いについて—西原孝至監督インタビュー【前編】

文: 藤木耀・佐生佳

昨年の国会前抗議行動を中心にSEALDsを半年間追い続けたドキュメンタリー映画、『わたしの自由について〜SEALDs 2015〜』。全国で70を超える自主上映が決まるなど、あの夏から1年を前に、話題を呼んでいます。
今回は『わたしの自由について』を監督した西原孝至さんに、SEALDsメンバーの藤木耀・佐生佳がお話を伺います。
前編では藤木耀が、監督とSEALDsとの出会いや、監督の社会との向き合い方の変化などに迫ります。

―「フリーランスで映像作ってる者なんですけど、オムニバス映画のテーマを探していて、よかったら相談できますか?」って送ったんだけど、返信がなくて(笑)。

藤木今日はよろしくお願いします。さっそくなんですけど、西原さんがSEALDsの撮影を始めたきっかけって、何ですか?

西原よろしくお願いします。きっかけについてなんですけど、本当に偶然なんですよね。

 普段はテレビの仕事とかしてるんですよ。それが去年の春くらいにちょっと暇になって、それで新しい企画でもやりたいなって思って。最初はなんか、別の企画を考えてたんです。東京に来てる女の子のライフスタイルをオムニバスで紹介する、みたいな。これ、今では結構奥田くんとか万奈ちゃんに笑い話にされるんですけどね(笑)。いろんな職業とか、いろんな活動をしている女性を4人くらいピックアップして、それでドキュメンタリーを作ろうと思ってたんです。それでいろいろリサーチしてたんですよ。「面白そうな人、いないかな?」みたいな。

 そしたらたまたま、SASPLの官邸前抗議の動画を見つけて。それを観たときに、なんかすごい面白いなって思ったんです。「日本でもこういう人たちいるんだ」って。それでSEALDsのウェブサイトに企画のメールを送ったのが最初でした。「フリーランスで映像作ってる者なんですけど、オムニバス映画のテーマを探していて、よかったら相談できますか?」って送ったんだけど、返信がなくて(笑)。

藤木(笑)。

西原たぶん気持ち悪く思われたのかも。あとから聞いたら、一応メンバーにメールは回してくれてたみたいでなんだけど。でも普通に考えて、いきなりそんなメールきたらビックリしちゃいますよね。なんかよくわかんない人からメール来て「映画を撮りたい」って。

 まあ返信がなかったんですよ。それで、一週間くらい返信ないなあと思ってたら、5月14日に、閣議決定で集団的自衛権を認めますって安倍さんが言った夜に、たまたまツイッターで、市民の人たちが緊急で官邸前で抗議しますよっていうのを見つけて。「あ、デモやるんだ。じゃあちょっとカメラ持って会いに行ってみようかな」ってカメラ借りて、官邸前に行ったんです。暇だったしね。夕方ぐらいに家を出て、「ちょっと映画でも観にいこうかな」、と思ってたんですけど(笑)。

 で、そのときは知らなかったんですけど。デモだけじゃなくてスピーチもするじゃないですか。そのスピーチがすごくいいなと思って。それで抗議の撮影が終わった後に、中心になって喋ってるっぽかった男の子に話しかけたら、それが奥田くんだった。「あ、メールくれた人ですか、すいません返信しなくて」って。

一同:(笑)。

西原って感じで、その日は撮影と、「みなさんに興味がある」みたいな話をして別れて。そしたら一週間後くらいに、今度ミーティングやるんで来ませんかと。それで恵比寿駅で待ち合わせして。なのに、6時ぐらいって言ってたけど全然来なくてさ。1時間くらい待たされた記憶があるんだよ。

藤木ひどい(笑)。

西原まあその日はミーティングを撮影できて。その後に、6月から毎週抗議するのを知って、毎週通い始めて、ミーティングとかも行って、って感じですね。だから、本当に偶然なんですよ。

―おれがこういう風にこの映画で伝えたいっていうよりも、観てくれたひとがどういう風に感じるかってのが重要じゃないかなって思ってて。

藤木映画の公開から時間が経って、いまいろんな人の反応とかを聞いたりしていると思うんですけれど、何か思うことはありますか?

西原いろんな人が意見を言ってくれるんだよね。一個印象に残ってるのは、大阪に行ったときにSEALDs KANSAIの子と三人で喋ったんだけど、そのとき観客の方が、「三時間ずっと見るのがつらかった」って。そのつらかったって面白かったっていう意味なんだけど、SEALDsのみんなが去年の夏あれだけのものを作ったのに、私はその時を何してたんだろうってことを考えてた、だからずーっと2時間45分、「じゃあお前はどうする?」みたいなことを問われてる気がした、みたいなことを感想で言ってくれて。

 映画をそういうふうに作ろうとは全く思っていなかったんだけど、それは結構SEALDsのみんなが言ってることに近いなって思って。デモとかなんでもいいんだけど、「おれは声上げたけど、じゃああなたはどうするんですか」みたいなことを、もしかしたらSEALDsが日本社会に問いかけたのかなって最近思ってて。だから、映画を観てくれた人がそういうふうに感じてくれたっていうのは、映画を作った意味があったかなと思いました。

藤木問いかけるようなものを映すつもりじゃなかったけど、そういうものが映っていたってことなんですかね。

西原そうなんだよね。この映画を通して伝えたいことは何ですかってよく聞かれるんだけど・・・。まぁあんまり無いって言うと違うし、無いことはないんだけど。なんていうかな、おれがこういうふうにこの映画で伝えたいっていうよりも、観てくれたひとがどういう風に感じるかってのが重要じゃないかなって思ってて。

 だから観てくれたことで、その人のなかで一個問いが生まれるっていうことは嬉しいというか。おれもSEALDsの動画を観たときに、やっぱり「どうします?」って問いかけられてる気がしたんだよね。おれの世代ってすごい社会に対して諦めてるっていうか、すごい醒めてる世代だと思うんだよ。そりゃいろんな人がいるけど、でも感覚としては、「社会は終わってるから、社会に対してどうこうっていうよりも、まずは自分の生活を頑張ろう」みたいな。そんな感じの利己主義的なところがおれの世代にはたぶんあるんだよね。

 でもSEALDsのみんなは、「社会終わってるんだけど、でも終わってるなかでもやれることありますよね」みたいな。そういう感覚はおれの世代にはすごく新鮮だったし、すごい刺激的だった。だから去年の夏、あんだけいろんな人巻き込んだのかなと。それはすごい感じてる。

―芸術を通して、社会に何かちょっと揺さぶりをかけることぐらいはできるんじゃないか、そういうことをやっていかなきゃいけないのかな

藤木なるほど。僕が『わたしの自由について』を観た印象なんですけど、言葉がすごい多い映画だなと思ったんです。個人的な感想なんですけど、本当の言葉があるなっていうのはずっと思ってて。みんな本気で喋ってて。自分もSEALDsと自分の生活の、自分の将来のためのことをどっちもやるときに、ちょっとSEALDsの方がしんどいなって思う時とかあるんですよね。最近もそうだったんですけど(笑)。

 でも映画をまた観ると、「ああこっちにこういう物語があって、自分もどういうふうにするのか問われてるんだな」って思います。

西原なんかね、まあでもつらいよね生きるのって。

藤木つらいっすね(笑)。

西原多分だけどさ、社会運動とかさ、ぶっちゃけだるいよね。

藤木そうですね。だるいです。

西原(笑)おれも映画作ってて、楽しいことはもちろんあるんだけど、家でずっと編集してて、「おれはいったい何のためにこれやってるんだ」みたいなのがやっぱあったんだよね。でもなんかやんなきゃいけないと思ってやってるっていう。なんなんでしょうね、この感覚。

 でもSEALDsのみんなの、「終わってるなら始めるぞ」じゃないけど、なんか終わってるけどやんなきゃだめでしょみたいな、「いや、やるっしょ」みたいなノリに、すごく刺激されちゃったから映画作ってる、みたいなところがあるわけなので。なんか難しいよね。

 漠然と、なんかおれの感覚としては、震災が起こるまでは2000年代の日本って、生きづらさみたいなのをテーマに、いろんな芸術作品が作られてきたんだと思うんだけど。震災が起きてからは、なんかもう生きづらさとかも言ってらんないみたいな。生きなきゃしょうがないみたいな。そんなふうに、なんか芸術の立ち位置みたいなのもちょっと変わってきてるのかなと思ってて。そりゃもちろん、社会なんか別に映画じゃ変えられないんだけど、社会を憂うだけじゃなくて、芸術を通して、社会に何かちょっと揺さぶりをかけることぐらいはできるんじゃないか、そういうことをやっていかなきゃいけないのかな、みたいなことは最近思ってますね。

藤木個人的な興味なんですけど、2000年代の生きづらさっていうのはどういう感じだったんですか?

西原なんなんでしょうね。おれが漠然と感じてるだけなのかもしれないんだけど、「この社会っていうのはいったいどうなっていくのだろうか」みたいな。なんかその生きづらさっていうか停滞感、経済も成長もしてないし悪くもなってないしみたいな。ずっとこの日常が永遠に続いていくのみたいな、幸せなのか不幸せなのかわかんないみたいな感覚をおれは持ってて。

 でも震災が起きて、ああなんか社会終わっちゃったみたいな。やっぱり、個人的な意識の変化はあったよね。テレビ番組とかを作ってるわけだけど、ちょっとでも社会に対して揺さぶりをかけるようなものを作りたいなあっていうのは思うようになったかな。

―ここにイケマキさんの車停まりますってとこに、ぶわーっと市民がピンク色のプラカード持って並んでたんですよ。それを見たときに、なんか感動したというか。

藤木そういえば、北海道にも撮影に行かれましたよね。北海道の市民の動きとかを見てて、なにか思われたことってありますか?

西原普通にあの、なんていうか、感動した(笑)。おれ全然それまでデモなんか行ったことなくって。政治なんか大学とかでも勉強してないし、たまにニュースで見るぐらいの、いわゆるノンポリの人間だったんだけど。

 SEALDsに去年関わることになって自分なりに勉強もしたし、そのなかでイケマキさんの選挙撮りにいったときに、本当に全然関係のない市民の人たちが同じピンク色のプラカード持っててさ。夜、公園で集会する前に駅前で最後の街宣があったんだけど、その前から、もえこちゃんとか、どっきょくんとか、奥田くんとかがいて。あゆみちゃんとかもポスティングして家回ってて。ここにイケマキさんの車停まりますってとこに、ぶわーっと市民がピンク色のプラカード持って並んでたんですよ。それを見たときに、なんか感動したというか。何なんでしょうね(笑)。

藤木ちょっとした台の上にイケマキさんがいて、市民が囲んでいたり。

西原そうそう、あの画もよかったよね。政治っていう、それまで距離があったものがぐぐっと縮まってるな、みたいなのをすごい感じましたね。

 国会前とかで、しがらみとか政党とか超えて、いろんな人が集まってたっていう延長線上に、あの画はあると思うんですよね。そういうことが日本の社会でも生まれようとしてるなっていうのは、見てて感動しました。

藤木本来政治って、よくみんな言ってますけど、生活に結びついてるもので。自分の未来とかよくしたいっていうところに繋がっていいはずのものなのに、ちょっとした距離ができてるっていう状況だったと思うんですけど。

 でも北海道では、選挙を通じて、政治家と市民の距離が縮まって、一体になるっていうか。自分の思うようなことをその場で言える、直接言えるような状況が生まれていたのかなと思ったりします。

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