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【新潟知事選】市民が選挙にかかわるということ 市民解説&学生voice

文: 磯貝じゅんこ・馬場ゆきの

新潟県知事選は、大方の予想を覆し、原発再稼働やTPPなどの争点に関し明確な対抗姿勢をとった米山隆一氏が当選しました。この勝利の背景には、まぎれもない、市民の動きがありました。来年にあることが予想される衆院選に向けて、「新潟モデル」は間違いなく一つの理想のかたちとなるはずです。
 今回は、その新潟県知事選にコミットし、その勝利をもたらした「新潟に新しいリーダーを作る会」の共同代表である磯貝じゅんこさん、そして選挙活動に参加した大学生の馬場ゆきのさんに寄稿していただきました。新潟件知事選への参加の前には、昨年夏の安保法制への全国的な抗議行動、今夏の参院選などの経験がありました。そうした市民の政治の流れのうえに、今回の新潟県知事選があったことが分かります。
 1ページ目は磯貝さん、2ページ目は馬場さんです。

新潟県知事選挙は、現職の泉田裕彦知事の出馬、そして長岡市長であった森民生氏の立候補から始まりました。

新潟×参院選

まず今回の県知事選では、新潟の参院選での経験が、その後につながる重大な分岐点となりました。

思い起こせば、昨年9月19日の安保法案強行採決。この国民を侮辱したような出来事が、普通の市民だった多くの人たちを選挙へ関わらせる大きなきっかけとなりました。

つい何ヶ月か前、まさか自分が多くの人を前にして演説をするだなんて・・・。それは市民連合@新潟や、各選挙事務所に出入りする多くの人たちも共通してもっていた思いだったはずです。

初めて関わる選挙で街宣カーの上に乗り、広い新潟各地を候補者と一緒に、時には候補者の代わりとなって演説する。選挙事務所へ足を運び、時には政党間の接着剤の役目を果たしながら、手探りで、初めての「選挙」というものに関わっていった人たちの共通の思いは、憲法を変えて戦争をする国になったら困るというものでした。子ども達に胸を張って渡せる未来に、安心して暮らしていける日本に、という思いだったのです。

そして、ここ新潟で何が何でも負けるわけにはいかないと思いを尽くし、迎えた投票結果に、私たちはとてつもない自信と大きな希望を持ったのです。もっと選挙に関わりたい、自分たちの思う選挙がしたいという仲間が、それぞれの土地を超えてつながり、そして、そのまま知事選へ進むかのように思えました。

「おむすびの会」

しかし参院選後、現職の泉田知事を応援すべく市民が立ち上げた「おむすびの会」は、そのたった二日後に、泉田知事の県知事選からの撤退のニュースを聞くこととなります。

おむすびの会はもとより、多くの市民からの驚きの声があがりました。そして、「泉田知事に撤退の撤回を求める緊急アンケート、ウェブ署名」等が、県内外各団体によって行われました。この署名は、対立候補が出ないなか、「泉田知事の他には考えられない」というわたしたち県民の強い思いから始まったものです。県民が多くの署名を集め、その意思が伝わったら、知事選からの撤退を撤回し再度、立候補していただけるのではないかという思いがありました。

集めてみて分かったことは、多くの方が泉田知事の撤退に大きなショックを受けていたということです。そして、その気持ちを救う受け皿が必要であったということ。それがおむすびの会の役目でもあったと感じました。さらに、選挙において現在の首長を交代させ、さらに良い政治をと願う従来の選挙ではなく、県政を評価し辞めないで欲しいと、続投を切願し市民から署名活動がなされたことも稀に見るものだったのではないでしょうか。

ただ結果として、泉田知事による撤退の撤回は行われませんでした。

米山隆一氏の擁立へ

県知事選挙の対立候補擁立へ直接関わったのは、7月の参院選にて共闘した、社民・共産・せいかつ(自由)の3党と、新社会・みどり・市民でした。

幾度となく候補者擁立のために調整を重ねました。民進や連合についてはそれぞれの事情もあったことから強制せず、でもそこに悪いイメージを持つことなく、いつでも受け入れる体制をつくりました。

いろんな人の名前が出ては消えた中、民進党を離党して米山隆一さんが立候補への覚悟を決めてくださいました。そして告示日の6日前に、米山隆一氏が民進党を離党し、市民団体や共産、社民、せいかつ、新社、みどりの各党からの支持を受け、出馬が決まりました。

こうして、新潟県知事選挙は自民党支持の森民生候補と米山氏の、事実上の一騎打ちとなったのです。

泉田氏は、これほどにまで多くの県民から愛された政治家は居なかったのではないかと思わせるほどの人でした。退任まで多くの県民に見送られたほどです。そして私たちは、その穴を埋められる候補者、納得できる候補者を、市民主導でを擁立することができたのです。

選挙戦―選挙事務所

こうして私たちは、選挙戦へとのぞむこととなりました。泉田知事の路線を継承する、そう政策を掲げ離党し立候補した米山氏を全力で支えなくては、圧力から守らなくてはという思いが、たしかにありました。そして、その選挙戦の景色は、あたかも参議院選挙を彷彿とさせるような野党共闘の県知事選挙となりました。

県内外から新潟県民へ向けての電話かけやチラシ折りなど応援に駆けつけ参加くださっていました。各地での街宣を重ねながらも、援軍として中央から各党の国会議員も新潟入りしてくださり、終盤には民進党党首も駆けつけてくださりました。

選挙事務所の景色も変わりました。選挙ポスター、電話、デスク…と殺風景な事務所が、女性、しかもお母さんたちや市民の手作りプラカードやポスターなどを使って装飾したことで、もっともっと子どもたちを連れたお母さん、一般市民が入りやすい雰囲気ができあがったのです。選挙事務所にキッズスペースができ、今までの事務所の固い雰囲気がいっきに明るいものとなっていきました。電話かけでの反応を聞くにつけ、メディアの反応とは逆に、米山陣営の盛り上がりを感じられずにはいられませんでした。

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今まで選挙へ行っていたという人はいても、選挙事務所へ出入りして応援していたという市民は極僅かでした。しかし今回は、明らかな市民の政治参加がありました。従来の「政治」の発想にとらわれない、柔軟で、地に足のついた多様な考え方が、米山事務所に取り入れられたのです。相手候補の事務所の雰囲気と比べても、市民が参加した選挙という意味では、明らかに色の違う、楽しそうな事務所でした。

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選挙戦―市民のうごき

市民の主な動きとしては、新潟に新しいリーダーを誕生させる会を選挙母体とし市民の会が勝手連となって、参議院選挙同様に、そこからの選挙戦を盛り上げていくこととなります。告示日まで日がないなかの立候補だったこともあり、チラシへの証紙貼りや電話かけ、街頭に出た通行者のアピールなど、それぞれの思いをもって、一人ひとり、できることをしてきました。

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原発再稼働の争点が明らかになっていくなかで、生活に関する政策を訴えることの重要性も感じていきました。それを選挙に関わる市民一人ひとりが自分の口で伝え、米山県政へ明るい希望があるということを個々に広げていったなど、一人ひとりがすでに候補者米山隆一であるようにも思えるほどえした。

2ヶ月前の参院選に比べより増えた市民ボランティアと、野党共闘で培った党派を超えたつながり。これが大きな土台となって、県知事選挙を盛り上げたのだと思います。

選挙戦―ある街宣

街頭演説では、党の動員でない、多数の一般の有権者で街頭が埋まりました。「よねやま」コールがどこからともなく起こり、その後街宣する他候補陣営から同様のコールをも誘発されてしまうほどに、米山陣営への熱狂ぶりを見せました。

印象的だったのが、偶然相手候補とバッティングしてしまった街宣でした。米山候補を応援する市民の数があまりにもの違ったのです。

これは、今までの泉田県政を支持していた県民が知事退任後に感じた不安が、米山氏で一気に希望とへ変わったためだと思っています。米山氏は、争点が「新潟柏崎刈羽原発の再稼働問題」、そして「泉田知事の県政を継承する」という、県民にとって触れざるを得ない問題に、真正面から向き合っていました。また、医師や弁護士でもある米山候補が、医療や介護、人口減少、奨学金問題、そして経済面など、多岐に渡る公約で県民の希望を拾い上げたのも大きいのではないかと思います。

事務所内の雰囲気、街宣に集まる人そのものが、米山さんがFacebookで書いていた「スーツの政治と私服の政治」だったのかもしれません。米山陣営の参加者たちが党の動員ではなく普段着で、普段の自分で、女性も高齢者も、従業員でも家庭内においても、私服の思いを持ちより、作り上げている選挙。これが米山隆一さんの選挙だったのです。

結果

結果投票率53.05%、52万8千票を獲得、相手候補との差6万3千票。投票率も前回の知事選と比べ9、1ポイント上昇。通常では困難であろう原発問題を争点とした新潟県知事選挙にて、野党と市民の勝利 となりました。

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これは新潟県内において、原発に不安を抱え再稼働をして欲しくないと願う市民の声が大きく反映されたものだと言えるでしょう。立地企業を抱えながらどう安全性を確保していくのか。はたまた経済と自分の故郷を天秤にかけた時に何を優先したいと考えたのか。立地県である新潟であるからこそ、の結果であったのかもしれません。

これからも私たちは生活者目線で考え、そして私たちの代表を選ぶでしょう。自らの生活は自らが守っていきたいと考え、誰かに依存するのではなくそして誰かに任せっきりにするのでもなく、たくさんの人たちと手を携えながらこの国で子供たちのことを想い考えて代表者を選ぶ。

そして、それが私たちがしてきた選挙でした。

 
2016、11、06 新潟に新しいリーダーを作る会 共同代表 磯貝じゅんこ

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