こんなこと、普段誰にも話しませんが、いい機会をもらったので少しだけ書かせてもらいます。
僕は、陸上自衛隊駐屯地のある町で育った。
人口は、一万人ほどの小さな町だった。
別に駐屯地があったからといって、特にその町の大きな特徴をなしていた、とかではない。自衛隊員も駐屯地内の職員も、その家族も完全に町の一部分だった。
だから、町おこし的なイベントや、学校の課外活動などを通し、自衛隊の人たちとは非常に親密な関係を保っていた。
年に一度のフェスがあれば、町民のほとんどは必ず自衛隊吹奏楽団の演奏を聴きに来るし、スキー場に行けば、自衛隊員がみんなお揃いの白い無地のスキー板を担いで山へ登っている。
町に一つしかない高校の部活動のコーチが自衛隊員だったりもする。駐屯地内のお祭りなんて、毎年必ず参加していた。
子供たちに将来の夢は?と聞いてみると、自衛隊になる!と力強く言ったりする子も中にはいる。
この一連の記憶は、僕にとっては当たり前の風景だった。過去の思い出話にすら、なり得なかったのだ。
ならば、どうして現在語るようになったのか。実は、言葉にして語るようになったのは、上京して、ほんの1年前の話だ。
去年、この国の政治状況はものすごい変わった。
口を開けば「民意を得た」の一点張りで、戦後70年守り続けた憲法の理念を平気で破ろうとする権力者が現れた。
自らを「国民の代表者」と言わんばかりの態度で、日本全国8割以上の「国民」が反対もしくは説明不足だと訴えた安全保障関連法案は「数の論理」で通された。
誰が、誰のために政治を行っているのだろうか?
僕はずっとこの問いを考え続けていた。
まさしく政治の季節と呼ばれる1年だった。
毎週国会前では市民たちの抗議運動が行われ、地方でも、数え切れないほどのデモや抗議集会、ネットの中では、一般人がただ安保関連法案に関する国会討論を書き起こしただけのページのシェア数が一万を超えた。
とある日、僕は路上で「戦争反対」のプラカードを持って無言で立っているご老人と出くわした。
心の中で敬意を表しつつ、通り過ぎようとして彼の方をちらっとみると、彼の胸ポケットには黄色いハンカチが入っていた。
有名な、あのハンカチだ。
その瞬間に、僕は自分の故郷を思い出した。
当然すぎて言葉にすらならなかった記憶が、このハンカチによって鮮やかに蘇った。
それは、幼いころ見た景色だということを、すっかり忘れていたのだ。
故郷の町じゅうの電信柱と電信柱の間に、お祭りの提灯のようにかけられた幸せの黄色いハンカチのことを。あれは2003年のことだった。家族はもちろん、町民のほとんどが、派兵された自衛隊員の無事を願った。
夕飯の買い物にスーパーマーケットに行くと、必ず「隊員の⚪︎⚪︎さんの家族は調子どう?」と話していたのを思い出した。
しばらく、彼を見つめ続けていた。僕の目線に気づいた彼はただ、笑ってくれた。
当たり前だと思っていた日常は、この瞬間に、僕の政治参加の理由の一部へと変わっていった。
どうしてか?と尋ねられても、そうなってしまったとしか言いようがない。
本来、政治参加するための理由なんて、僕みたいに書く必要もなければ、人に語る必要もない。
それは、必ずしもその人にとって最初から言葉にできるものじゃないからだ。
生々しいイメージのままで残ってて、ふとしたきっかけで急に言葉になることがある。
そして、そのきっかけを作ってくれるのは、時も場所も超えた、見知らぬ誰かなのだ。
僕にとっては、それは路上に立ってたご老人が持ってた黄色いハンカチだったというだけだ。
誰が誰のために政治をやっているのだろうか?
今現在も問われているこの問いに向き合うのは、僕であり、あなたである。
自分が自分の日常と誠実に向き合う限り、その答えは自分の言葉で現れるのだと思います。
「選挙に行こうよ」
6月5日 佐藤大