“一つの言葉が、いろいろな意味を持ちうる中で、 なぜある場合に一つの意味が支配的であるかを、その社会的・歴史的文脈の中で明らかにすることが必要なのである。”——— p.6
あなたにとっての「自由」の言葉の主体は「リベルテ(個人)」ですか、それとも「リバティー(権力に対する市民)」ですか。“ことば”が独立した道具ではなく、「いつ・だれが・ どこで・なぜ」用いるかによって変化するものであることは、 分かっていても意識しづらい。「自由」や「福祉」など普遍的な価値を持つ言葉が、日本の政治史の中でどう変化してきたのか。この視点をもつことは同時に、それぞれの時代にとっての「価値」を再認識することでもあるのだ。
みつ
BOOK'S SELECTION
物騒なフィクション — 起源の分有をめぐって
フェティ・ベンスラマ著; 西谷修訳・解説
筑摩書房
1994年
“そこかしこで人はこぞって声を張り上げた。だって、たかがフィクションではないか、と。” ——— p.34
チュニジア出身の精神科医で、現在パリⅦ大学教授の著者によってこの本が書かれたのは1994年。しかし2016年の今、ここに記された問題は一切古くなっていない。単なる「文学的フィクション」や「表現の自由」がなぜイスラームと衝突するのか。「西洋VSイスラーム」という単純な図式ではなく、両者が拠って立つ「テクスト」という概念に着目して描かれるこの本は、シャルリ・エブドを嚆矢とする「テロ」事件、そして「原理主義」そのものを考えるために今こそ復刊され、読まれるべき本だ。
JGJ
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