⅔ 。これは、憲法改正に必要な議席の割り合いです。
自民党は現在、改憲をしようとしています。
与党は衆議院ですでに⅔ を獲得していますが、参議院ではまだです。
だから「⅔ を取らせない」をスローガンに選挙戦をしている人が多いのです。
しかし、どうしてそれほどまでに改憲をおそれなければならないのでしょうか?
自民党改憲草案がどうしてダメだと言われているのか、その4つの理由をここではみていきたいと思います。
yui hasegawa
2/3取られてはダメな理由①
いまの国家の土台が崩れるから
日本は、「立憲主義」と「議会制民主主義」を国の土台としています。
憲法とは、「法律を作るときのルール」です。
そして立憲主義とは、法律を作るときに憲法というルールに沿う、というものです。
もしもワルイ人が権力を持ってしまっても大丈夫なように、「権力を抑制する」役目を持っているのが憲法で、立憲主義なのです。
議会制民主主義というのは、民によって選ばれた議員が議会で話し合った結果、法律を作るというものです。
どの先進国と呼ばれる国も、この二つの形をとっています。
しかし自民党に改憲されてしまったら、そういう国家の成り立ち方ではなくなるかもしれません。
1 立憲主義ではなくなるところ
今まで総理大臣を含む国務大臣、国会議員など国家権力を持つ人が憲法を守らなければならないとあったところに、
国民が守らなければならない、という言葉が入っています。
今は国民が、権力者が暴走しようとした場合も大丈夫なよう、憲法で権力者をしばっています。
しかし自民党改憲草案では、その権力制限の矢印が逆転しているのです。
これは、「憲法」というものの意味を根底から無効化するものといえます。
2議会制民主主義じゃなくなる危険のあるところ
自民党憲法草案には、「緊急事態条項」という項目が追加されています。「その他」「事後」という言葉が入っていることにより、「緊急事態だ!」と総理が判断したら「緊急事態宣言」をして、
100日間も議会での審議なしに、内閣だけで法律にあたるものや制度を作ることができるようになっています。
つまり言ってしまえば、緊急事態じゃなくても、私は緊急事態だと思ったんです!といって宣言をし、すぐ議会制度を廃止する政令を出すだとか、ずっと独裁者として君臨できる政令を出すといったことも、可能といえば可能なのです。
(ちなみにヒトラーは、この緊急事態条項を使用して、憲法を持つ議会制民主主義の国から独裁国家に変えました。そのほか台湾にも、これを利用して何十年間も首脳であり続けた人がいます)
2/3取られてはダメな理由②
生命・自由・幸福追求権が今より守られなくなるから
第12、13、21条の違いを見てみましょう。
「公共」と「福祉」という言葉を辞書で引くと、こう出てきます。
公共:社会一般
福祉:しあわせ。幸福。特に、(公的扶助による)生活の安定や充足。
「公」も辞書で引いてみました。すると辞書の1項目には、こんな言葉が。
1.朝廷。政府。役所。または国家。
つまり、今までは社会一般の幸せ、個人間の人権と人権の調整、というニュアンスだったのが、政府の利益、政府の思う秩序に反している表現はだめ、ということになってしまうのです。
2/3取られてはダメな理由③
全体主義、家族主義っぽくなるから
次に、第24条の違いを見てみましょう。
自民党改憲草案には、他にもこのような言葉があります。
「国と強度を誇りと気概を持って自ら守り、」
「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」
「日本国民は国旗および国歌を尊重しなければならない。」
すてきじゃないか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。けれど、これは憲法で定めるものではないんです。
たとえば家族について。家族のあり方は、家庭によって様々です。家族だけど、どうしてもウマが合わないということもあるでしょう。
chaki ueda
「家族だから」という理由で、どんなに辛く負担でも自身で介護などを行いつづけ、結果ストレスのあまり心中してしまった、という事件もあります。
法を作るときのルールであり、権力を抑制するための憲法で、「人間関係の在り方」や「個人が大切に思うもの」を規定するのは、はっきり言ってしまえば、完全にズレています。
憲法というものの機能から考えて、こうしたトピックは書き込まれる種類のものではないのです。
より難しくいえば、国家の領域と社会の領域の区別がついていないということです。国家がこのように社会や個人の在り方を強く規定してしまうと、それは全体主義国家のやりかたと変わらなくなってしまいます。
2/3取られてはダメな理由④
議論がきちんとされるとは限らないから
安倍総理は、参院選後に改憲に向け“議論”を進めていくと言っています。
「“議論”ぐらいなら別に構わないのでは?」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし大切なのは、“議論”それ自体ではなく、議論の内実・内容です。
「前例」として、昨年の安保法をめぐる“議論”を思い出してみましょう。
1まず、2014年の衆議院選挙。
あのとき、安保法はどれくらい「争点」だったでしょうか。
ほとんどが「アベノミクス」の話だったと思います。当時の自民党の政策パンフレットを見てもそうです。
https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/126585_1.pdf
しかしこの選挙の翌年、安倍政権が最も力を入れたのは安保法でした。
今回の選挙でも、自民党から改憲についての積極的な議論はあまりされていません。自民党の街宣で強調されるのは経済、そして「野合」批判です。
もちろん、これらの論点も大事です。しかし参院選後に改憲をしたいと考えるのならば、そのことを国民の前でしっかりと語り、今のうちから自民党改憲草案についての熟議を促していくべきでしょう。
2安保法は、多くの学者や全国の人々、そして元自民党幹事長さえもが「反対」という声を上げてしました。
与党サイドも官僚によって言うことが違ったり、具体的なケースを想定した質問をされても曖昧な答えであったりしました。
その結果、安保法制成立直後の世論調査で、国民の7割が「議論が十分に尽くされていない」と回答していました。
議会制民主主義というのは、ただ単に議会で多数決をとって、多い方を認める、というものではありません。ただ多数決で多いほうがいいだけならば、一番人数の多い政党以外の議員がいる意味はなくなります。
法を作る前に、議会できちんと中身のある議論をし尽くすということが、重要なのです。
そのため、安保法の採決は「強行」採決だったと言われています。
このような「前例」から考えたとき、日本国憲法も、きちんと“議論”が行われないまま、大きく書き換えられてしまうかもしれません。
yui hasegawa
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もちろん、改憲そのものが良くないとは思いません。慎重かつ充実した議論のもと改憲がなされることは、それ自体としては大切なことです。
しかし自民党の改憲草案は、今回見てきたように、国の基盤を、最低限のルールをこわしてしまうものです。
もしも改憲されたあと、個人や自由がないがしろにされるような政治が行われて、あなたが、家族が、友人が、かなしい思いをする当事者になってしまったら。
権力を抑制するものがないせいで、その状況をどうにかする手段がなくなってしまっていたとしたら。
yui hasegawa
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