“(持っていってくれ!取ったりんごくらいは、持っていってくれ!)”——— p.29
終戦の年、炭坑での強制労働から解放された中国人、朝鮮人たちが父のりんご畑にやってきた。 復員兵の父は日本軍の略奪に目をつむった自分を思い出しながら、りんごを売って家族を養うんだ取らないでくれと頼む。 すると骨と皮ばかり彼らはりんごを置いて静かに去っていった。 作者の父はりんごの季節になるとこの話を聞かせる。戦争が終わり人間性を取りもどす記憶。 平和が揺らぐ今、そしてこれからの時代、私たちは人間性を守り続けられるだろうか。
マサキ
BOOK'S SELECTION
明かしえぬ共同体
モーリス・ブランショ 著; 西谷修 訳
ちくま学芸文庫
1997年
“共同体は至高性の場ではない。それはおのれを露呈しながら他を露呈させるものである。共同体は、それを締め出す存在の外部を内に含んでいる。” ——— p.34(※「外部」に傍点)
生きるということ、死ぬということ。 とても個人的なことに思える。 私の生を、私の死を、誰も代わってはくれない。 しかし果たして、私は独り死ぬことができるだろうか。 「私は死んだ」と言える人間はどこにもいないはずだ。 私はせいぜい他者の死に立ち会うことしかできない。「私が考えることは自分独りで考えたものではない。」こう言ったバタイユのことを考え続けたブランショ。 そのブランショを考え続ける私とは。 まさにここに共同体は出来する。
羽鳥涼
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