“「なぜだ?」私は下手くそなドイツ語で尋ねた。「ここにはなぜなんて言葉はないんだ」男はこう答え、私を突き飛ばして中に押し込んだ。”——— p.27
アウシュヴィッツには「なぜ?」という問いは存在しない。その応答である“reason”(理由=理性)も。 逆に言えば、 「なぜ?」という問いのないところに、アウシュヴィッツは生まれる。 その土壌はいまなお、完全に消え去ってはおらず、この社会の中にある。 われわれは、まずこのような悲惨があったことを真に受けよう。 そして、想像の及ぶ限り想像しよう。 人間が主体を奪われ、番号になってしまう前に、 「なぜ?」 という問いを発しなければならない。
UCD
BOOK'S SELECTION
僕は、そして僕たちはどう生きるか
梨木香歩 著
理論社
2011年
“僕を信じて付いてきた、あのニワトリを守り切れなかった。” ——— p.228
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』は、盧溝橋事件の年に出た。 軍国主義が社会を覆い、言論が弾圧されていくなか、子どもたちに向けて計画されたシリーズの一冊だった。 この命がけの「君たちは、どう生きるのか」という問いを、著者は現在のなかに受けとめ、 「僕は」「僕たちは」という主語を置いた。性暴力、個と集団、兵役拒否、開発と自然破壊などを織り込み、自ら魂を殺害し戦争に適応する人間の姿を丹念に捉えた。70年前と今が鮮やかに繋がる。
かりん
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