“そこかしこで人はこぞって声を張り上げた。だって、たかがフィクションではないか、と。”——— p.34
チュニジア出身の精神科医で、現在パリⅦ大学教授の著者によってこの本が書かれたのは1994年。しかし2016年の今、ここに記された問題は一切古くなっていない。単なる「文学的フィクション」や「表現の自由」がなぜイスラームと衝突するのか。「西洋VSイスラーム」という単純な図式ではなく、両者が拠って立つ「テクスト」という概念に着目して描かれるこの本は、シャルリ・エブドを嚆矢とする「テロ」事件、そして「原理主義」そのものを考えるために今こそ復刊され、読まれるべき本だ。
JGJ
BOOK'S SELECTION
ロルティ伍長の犯罪 — 〈父〉を論じる — ピエール・ルジャンドル第VIII講
ピエール・ルジャンドル 著; 西谷修 訳
人文書院
1998年
“「どうしてブツブツ言うの、パパ、気分でも悪いの?」。少し後で、瀕死の者の平手打ちを受ける前に、息子は父親の顔をしげしげと見る——何事も語らない顔を。これは現代の寓話だ。” ——— pp.235-236
全ての親は、もともと子である。 子を産めば簡単に親になれるわけではない。 親になるためには、まず自分が「自分はなんでもできて、なんでも要求できる」 という子の立場を放棄して、大人にならなければならない。 しかし、今の親はどうだろう。 モンスターペアレンツのような全能性に取り憑かれたような親ばかりだ。 そして、子としての要求を自分の子に押し付ける。 叶わなければ平手打ちをする。 何も言わずに。 暴力は語らないのだ。 その子はいったいどうなるのか。 ドグマ人類学への入り口。
UCD
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