“こうして人間が生まれていくのだ。何度も何度も、それがいったいどんな存在なのかを私たちはいまだ知りえないとしても。”——— p.95
9.11と「テロとの戦い」以後、人命は悲嘆すべき死と価値のない死に振り分けられた。国家は哀悼を占有し、痛みを絶やすためにと、実際には暴力を増やしていく。そうすれば可傷性も否定した「自律的な主体」が保存されるかのように。しかし引き裂かれた私たちは、喪失の体験を共有することで人間へと帰り、出会い、別の未来に届く。台無しにしあうことさえ私たちの可能性なのだ。自主検閲と反知性主義に抗い、生への感覚を取り戻すための書。
うめてん
BOOK'S SELECTION
明かしえぬ共同体
モーリス・ブランショ 著; 西谷修 訳
ちくま学芸文庫
1997年
“共同体は至高性の場ではない。それはおのれを露呈しながら他を露呈させるものである。共同体は、それを締め出す存在の外部を内に含んでいる。” ——— p.34(※「外部」に傍点)
生きるということ、死ぬということ。 とても個人的なことに思える。 私の生を、私の死を、誰も代わってはくれない。 しかし果たして、私は独り死ぬことができるだろうか。 「私は死んだ」と言える人間はどこにもいないはずだ。 私はせいぜい他者の死に立ち会うことしかできない。「私が考えることは自分独りで考えたものではない。」こう言ったバタイユのことを考え続けたブランショ。 そのブランショを考え続ける私とは。 まさにここに共同体は出来する。
羽鳥涼
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