“すべての芸術がそうであったように、ラップも「持たざるもの」によって生み出された。”——— p.594
15人のラッパーのインタビュー集。それぞれの日常の生活から書き溜められた言葉は、現代という時代をどんな詩人たちよりリアルに現している。 路上で、郊外で、ステージの上で、彼らの日本語は「リリック」となる。 確かなことは、それまで誰でもなかった「誰か」が発した声に、何かを変える力があるということだ。 そして同じ力が誰でもない「私」たちにはある。——言葉が。 どれほど終わっている日常の中でも、こう言おう。「OK余裕 未来は俺らの手の中」
JGJ
BOOK'S SELECTION
アウシュヴィッツは終わらない — あるイタリア人生存者の考察
プリーモ・レーヴィ 著; 竹山博英 訳
朝日選書
1980年
“「なぜだ?」私は下手くそなドイツ語で尋ねた。「ここにはなぜなんて言葉はないんだ」男はこう答え、私を突き飛ばして中に押し込んだ。” ——— p.27
アウシュヴィッツには「なぜ?」という問いは存在しない。その応答である“reason”(理由=理性)も。 逆に言えば、 「なぜ?」という問いのないところに、アウシュヴィッツは生まれる。 その土壌はいまなお、完全に消え去ってはおらず、この社会の中にある。 われわれは、まずこのような悲惨があったことを真に受けよう。 そして、想像の及ぶ限り想像しよう。 人間が主体を奪われ、番号になってしまう前に、 「なぜ?」 という問いを発しなければならない。
UCD
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