“亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に”——— p.141
あの日失われた多くの命。 私たちはもう彼ら彼女らには出会えないのだろうか。 何事もなかったかのように暮らしてゆかねばならないのだろうか。 そうして他愛もなく話している時、私たちはふと気づく、こうして話している言葉を彼らも彼女らもまた話していたのではなかったか。 私たちが言葉を話す、と同時に言葉が私たちを話させる。 想像せよ。耳を澄ませば聞こえるはずだ。 そして語り続けよ。 未来のために。「想—像—ラジオ—」
羽鳥涼
BOOK'S SELECTION
ぼくはくまのままでいたかったのに
イエルク・シュタイナー 文; イエルク・ミュラー 絵; おおしまかおり 訳
ほるぷ出版
1978年
“なにか だいじなことを わすれてしまったらしいな、とくまはおもった。はてなんだろう?” ——— p.32
冬眠から目覚めたクマは工場労働者と間違えられ、しだいに自分は人間だと思い込む。工場をクビになり森へ解放されほら穴をまえにしてもなお、クマであることを思い出せない。自我は社会との関わりのなかで常にアップデートされていくものだ。子どもらしくと言われれば子どもに、ママと呼ばれればママになる。この季節になると私たちは就活生とよばれ一様に黒のスーツに身をつつみ、時には自分を演じて面接にのぞむ。さて、そこに私はいるのだろうか。
七田
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