“亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に”——— p.141
あの日失われた多くの命。 私たちはもう彼ら彼女らには出会えないのだろうか。 何事もなかったかのように暮らしてゆかねばならないのだろうか。 そうして他愛もなく話している時、私たちはふと気づく、こうして話している言葉を彼らも彼女らもまた話していたのではなかったか。 私たちが言葉を話す、と同時に言葉が私たちを話させる。 想像せよ。耳を澄ませば聞こえるはずだ。 そして語り続けよ。 未来のために。「想—像—ラジオ—」
羽鳥涼
BOOK'S SELECTION
日本とアジア
竹内好 著
ちくま学芸文庫
1993年
“日本人がアジアを主体的に考える日は、まだ来ていない。” ——— p.110
西欧の「自由」や「平等」という文化価値の非西欧への浸透は、植民地侵略といった武力を伴ってのものだった。 それにより、その価値自体は弱くなってしまった。その弱さが「そうはいっても、こう」という二枚舌、つまり「平等」 を唱えながらの搾取といったことを正当化している。どうしたら、「自由」や「平等」といった価値が、意味あるものとして力を取り戻し、全ての人のものになるのか。日本の「近代化」を再検討し、その方法を問い直す評論集だ。
これつ
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