“境界線はそれ自体が目的ではない。” ——— p.187
この社会に生きる私たちは、一人ひとり違う。私は私で、 あなたはあなたでしかない。だからこそ、時に社会には対立や紛争が生まれる。しかし、たとえそうであったとしても、 私たちは他者の存在なくしては生きていけない。互いの違いを認め合い、多様性に富んだ社会に生きるための知恵として、 憲法や立憲主義は作り上げられてきた。単純な「護憲論」や「改憲論」ではなく、憲法や立憲主義の思想的背景を紐解くことで、筆者は根本から憲法を問い直す。
塩田潤
岩波新書 2006年
長谷部恭男 著
“境界線はそれ自体が目的ではない。” ——— p.187
この社会に生きる私たちは、一人ひとり違う。私は私で、 あなたはあなたでしかない。だからこそ、時に社会には対立や紛争が生まれる。しかし、たとえそうであったとしても、 私たちは他者の存在なくしては生きていけない。互いの違いを認め合い、多様性に富んだ社会に生きるための知恵として、 憲法や立憲主義は作り上げられてきた。単純な「護憲論」や「改憲論」ではなく、憲法や立憲主義の思想的背景を紐解くことで、筆者は根本から憲法を問い直す。
塩田潤
“――いいじゃないか、そんなこと。ぼくはきみにそばにいてもらいたいんだ。だから、びりになる。”
転校してきた四年一組の教室で、始が見たのは、透き通った男。それはびりっかすの ところにだけ現れる神様だった。 学校教育に競争原理を持ち込み、子どもたちを競わせ、教室や地域の中に格差をつくることに、いったいどんな意味があるだろうか?「もっとがんばれ」と言う大人の思惑とは裏腹に、「神様」を見たいがためにびりになることに夢中になる子どもたち。やがて彼らは、一番になるために頑張ることよりもっと大事なことを、教室の中で見つけていく。
内山望