
“境界線はそれ自体が目的ではない。” ——— p.187
この社会に生きる私たちは、一人ひとり違う。私は私で、 あなたはあなたでしかない。だからこそ、時に社会には対立や紛争が生まれる。しかし、たとえそうであったとしても、 私たちは他者の存在なくしては生きていけない。互いの違いを認め合い、多様性に富んだ社会に生きるための知恵として、 憲法や立憲主義は作り上げられてきた。単純な「護憲論」や「改憲論」ではなく、憲法や立憲主義の思想的背景を紐解くことで、筆者は根本から憲法を問い直す。
塩田潤岩波新書 2006年
長谷部恭男 著
“境界線はそれ自体が目的ではない。” ——— p.187
この社会に生きる私たちは、一人ひとり違う。私は私で、 あなたはあなたでしかない。だからこそ、時に社会には対立や紛争が生まれる。しかし、たとえそうであったとしても、 私たちは他者の存在なくしては生きていけない。互いの違いを認め合い、多様性に富んだ社会に生きるための知恵として、 憲法や立憲主義は作り上げられてきた。単純な「護憲論」や「改憲論」ではなく、憲法や立憲主義の思想的背景を紐解くことで、筆者は根本から憲法を問い直す。
塩田潤“いかなる文化も単一で純粋ではない。すべての文化は雑種的かつ異種混淆的で、異様なまでに差異化され、一枚岩的ではないのだ。”
「文化」という言葉を使う時、何が表されるのか?それは「私たち」と、「彼ら」を分けるものになってはいないか。文化が他者を排除するために使われて来てしまったことを見据えながら、この本はその力について問いかける。それは、この時代に生きる誰もが「重なり合う領土、絡まり合う歴史」の中で生きているということを知りながら、それでも 「『私たち』についてだけではなく、他者について、具体的に、共感をこめて、対位法的に考える」こと。その想像力を私たちにもたらすものだ、と。
平葉