“すべての芸術がそうであったように、ラップも「持たざるもの」によって生み出された。”——— p.594
15人のラッパーのインタビュー集。それぞれの日常の生活から書き溜められた言葉は、現代という時代をどんな詩人たちよりリアルに現している。 路上で、郊外で、ステージの上で、彼らの日本語は「リリック」となる。 確かなことは、それまで誰でもなかった「誰か」が発した声に、何かを変える力があるということだ。 そして同じ力が誰でもない「私」たちにはある。——言葉が。 どれほど終わっている日常の中でも、こう言おう。「OK余裕 未来は俺らの手の中」
JGJ
BOOK'S SELECTION
明かしえぬ共同体
モーリス・ブランショ 著; 西谷修 訳
ちくま学芸文庫
1997年
“共同体は至高性の場ではない。それはおのれを露呈しながら他を露呈させるものである。共同体は、それを締め出す存在の外部を内に含んでいる。” ——— p.34(※「外部」に傍点)
生きるということ、死ぬということ。 とても個人的なことに思える。 私の生を、私の死を、誰も代わってはくれない。 しかし果たして、私は独り死ぬことができるだろうか。 「私は死んだ」と言える人間はどこにもいないはずだ。 私はせいぜい他者の死に立ち会うことしかできない。「私が考えることは自分独りで考えたものではない。」こう言ったバタイユのことを考え続けたブランショ。 そのブランショを考え続ける私とは。 まさにここに共同体は出来する。
羽鳥涼
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