ついにトランプ政権が発足しました。前大統領のオバマからトランプと、ずいぶんな振れ幅だなという感じがしますね。オバマ政権については「期待はずれ」といった評価が多く見られ、この点、トランプの勝利はオバマへの「逆張り」の成功のようにさえ見えます。
でも実際、オバマ政権って何をしたんでしょう? 本当にすべてがすべてダメだったのでしょうか? トランプのアメリカになる今日だからこそ、オバマが残したものを適切に見極める必要があります。今回は、三重大学准教授の森原康仁先生に「オバマ政権とは何だったのか」ということについて、経済政策を中心にまとめていただきました!
きょう1月20日は第45代アメリカ合衆国大統領にドナルド・トランプが就任する日です。大統領選を制した直後こそトランプは殊勝な態度をみせましたが、就任が近づくにつれて前任のバラク・オバマにたいする「逆張り」を強め、現在は「オバマのやることにはことごとく反対」という色彩が強まっています。
出所:みずほ総合研究所.
現時点でわかっているトランプ大統領の公約は12分野にわたります(表1)。このうち、大型減税やエネルギー、ドッド・フランク法(ウォール街改革および消費者保護法)の廃止、オバマケア(患者保護並びに医療費負担適正化法)の廃止、北米自由貿易協定(NAFTA)再交渉、移民制度改革などはあきらかなオバマ前政権への「逆張り」です。また、大統領選と同時に行われた連邦議会選挙で上下両院を制した共和党は、トランプの大統領就任を待たずにオバマケアを撤廃する予算案を可決してしまいました。
トランプ新大統領の政策は「あってないようなもの」。これからどうなるか誰にもわかりませんが、トランプがオバマを否定しようとしていることだけははっきりしています。しかし、オバマが残したものをこのままゴミ箱に捨ててしまってもよいのでしょうか。実はオバマは「どんな政権であっても必ず直面する課題」を苦闘しながらも克服しようとしました。その課題とは広がる所得格差です。以下ではこの問題に焦点を当てて「オバマのレガシー(遺産)」をふりかえってみたいと思います。
ブッシュ政権の負の遺産
オバマが大統領就任後に直面した課題は広がる所得格差でした。アメリカ議会予算局の2011年の報告書(図1)によると、所得最上位1%の平均実質家計所得(税引き前)は1979年から2007年にかけて約3倍に急拡大しましたが、中間層のそれは約19%しか増えていません。結果、総所得に占める上位1%の割合は約10%から20%に拡大。ベストセラー『21世紀の資本』を書いたピケティも批判したように、アメリカは世界でもっとも不公平な国になったのです。
図1 所得移転および課税後の所得シェア(1979年と2007年)
出所:CBO [2011], p. XIII.
しかもアメリカでは税や財政の所得再分配機能が低下してきました。政府が格差を是正するどころか、むしろ格差を拡大させてきたのです。その典型例がオバマの前の大統領だったジョージ・W・ブッシュの大減税です。
図2 所得移転および連邦税によるジニ係数の削減効果
出所:CBO [2011], p. 20.
図2は財政が所得格差を是正する効果の推移をみたものですが、この図から全体として言えることは、所得移転や税による所得再分配効果が低下傾向にあるということです。これに拍車をかけたのが、ジョージ・W・ブッシュ政権期の一連の減税立法(ブッシュ減税)でした。この大減税で潤ったのはもっぱら富裕層(注1)。その一方で、貧困人口は大幅に拡大し、ブッシュ政権が発足した2001年に3290万人だった貧困人口は、かれが退任する2009年には4356万人になりました(注2)。
分割政府のもとでの苦闘
オバマ政権はこうしたブッシュ前政権が積み残した課題を背負って発足したわけですが、すくなくとも法案成立件数という点からみると、華々しい成果を挙げることはできませんでした(図3)。
図3 アメリカにおける法案成立件数の推移
出所:アセットマネジメントOne [2016]、2ページ。
この背景には、2010年11月の中間選挙で多数党の立場を復活させた下院共和党が、オバマ政権の格差是正策に徹底的に抵抗したという事情があります(上院と大統領を民主党が、下院を共和党が握った「ねじれ」をアメリカでは「分割政府」といいます)。このなかでオバマは先述のブッシュ減税の延長を飲まざるをえなくなるなど、大幅に妥協。このころからオバマは「決められない政治」の代表格との批判が高まるようになりました。
なお、政治学者の待鳥聡史や財政学者の河音琢郎の分析によると、分割政府のもとで下院共和党が徹底的に抵抗した背景には、共和党の新人議員の多くがティーパーティー運動に支援されていたという事情があります(注3)。かれらは共和党執行部がオバマや民主党と妥協しようとすると執行部を徹底的に批判。その結果、なにも決められない政治が続いてしまったのです(この意味では、アメリカの議会政治の構造変化が「決められない政治」の条件をつくった面があり、オバマの責任だけを追及するのは酷な面があります)。
オバマが残したもの
オバマはこの状況に手をこまねいたままだったのでしょうか。ここで注目したいのは、かれが、大統領2期目の政策発表である2013年の一般教書演説で「賢明な政府」という表現を用いたことです。
オバマはこの演説で次のように述べています。「われわれが必要としているのは、より大きな政府ではなく、優先順位を付け、広範な成長に投資する、より賢明な政府だ」。
オバマのいう「賢明な政府」とは、一方では「財政赤字を野放図に拡張することはできない」ということを強調する意図を持っていますが、他方では、必要な場合には財政支出を行うべきであること、また、規制や税制優遇措置によっても政策目標は達成できるということを強調する意図をもっています。これは先にみたような下院共和党の抵抗を抑えつつ、オバマ政権の当初の理念を政策として具体化しようとする試みの現れでもあるわけです。具体的にはどのような政策が念頭に置かれたのでしょうか
原出所:World Top Incomes Database; Census Bureau; Congressional Budget Office; Bureau of Labor Statistics; Bureau of Economic Analysis; CEA calculations; Saez (2015)
出所:CEA [2015]、p. 30にもとづき筆者作成。
2014年度の「大統領経済報告」(日本の「経済財政白書」に相当)は、1995年から2013年にかけて、生産性は回復しているのに、中間層やボトム90%の低所得者の所得は伸びていないと訴えます。しかもトップ1%の富裕層の所得は大幅に拡大し、所得格差への対処が必要であると主張します(以上、表2)。そして、「大統領経済報告」は具体的な政策手段として、最低賃金の大幅引き上げ、勤労所得税額控除、教育への投資、そして「患者保護並びに医療費負担適正化法」(オバマケア)を挙げました(注4)。
さらに、2016年度の「大統領経済報告」では、所得再分配と経済成長はトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)の関係ではなく、むしろ「再分配なくして経済成長もない」という認識を打ち出しました(注5)。これは、「格差 (net inequality) が小さく再分配の水準が一定であれば経済成長は高くなり、再分配が強化されたからといって経済成長に否定的影響をおよぼすことはない」とした2014年の国際通貨基金(IMF)のペーパーと軌を一にする主張です(注6)。
格差対策は待ったなし
こうした所得格差への対応はどんな政権であろうが避けてとおることはできません。そもそも、2008年のリーマンショックのあとに問題になったのは、金融市場の規制緩和ではなく「どのような規制を設けるのが適切であるか」ということでした(注7)。経済にも公正さを求める流れが強まり、そのことがオキュパイ・ウォール・ストリートやバーニー・サンダースの活躍にむすびつきました(サンダースの活躍は、サンダース[2016]に所収されているジョン・ニコルスの「アメリカ大統領選挙のはぐれ者」という解説に詳しい)。
しかも、リーマンショック後の資本主義は金融バブルに依存した「成長」の限界をあらわにしました。2000年代の住宅バブルは低所得者や中間層の負債を増やすことで一時的に消費を拡大させましたが、バブルが崩壊した結果、もともとあった所得格差による消費の低迷という「地金」が露呈(注8)。格差問題にとりくまなければ資本主義の維持可能性すら危ぶまれる状況が現在なのです。
政治学者のコリン・クラウチが「民営化されたケインズ主義」すなわち公的債務の家計債務への付け替えは破たんしたと述べているように、金融バブルによる消費の拡大とそれにもとづく「成長」は持続不可能です(注9)。こういう観点からみてもオバマの打ち出した方向性それ自体は普遍的で、これは政権がどうであろうとも避けて通ることはできない課題なのです。
たしかに、オバマが訴えた「賢明な政府」はかけ声倒れだった側面は否めません。たとえば、連邦最低賃金の大幅な引き上げという意欲的な提案も下院共和党の抵抗によって実現できず、大統領権限(大統領令)で実行できる連邦政府の契約事業者の最低時給引き上げを実現するにとどまりました。しかし、この政策が2016年大統領選において共和・民主両党の候補者に引き継がれたことをみればわかるように、オバマ政権が打ち出した政策的方向性それ自体が誤っていたわけではないのです。
図4 トランプの「3G政権」
出所:朝日新聞。
トランプはブッシュ減税ばりの大減税をやると言っています。しかし、ノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツをはじめすでに多方面からの批判があるとおり、これは富裕層を肥え太らせることにはなっても、所得格差を是正することはできません(注10)。格差と貧困の問題は残り続けるのであり、トランプ新政権も早晩この課題に直面することになるでしょう。大金持ち、将軍(軍人)、ゴールドマン・サックス(巨大金融機関)からなるトランプの「3G政権」で、そうした課題に対処できるでしょうか(図4)。それは難しそうです。トランプ政権が行き詰ったとき、ふたたび「オバマのレガシー」が思い出されることになるはずです。
1979年生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。京都大学博士(経済学)。三重大学准教授。専門は国際政治経済学。著書に『図説 経済の論点』(共編著、旬報社)、『知識資本の国際政治経済学』(共著、同友館)、『入門 現代日本の経済政策』(共著、法律文化社)など。共訳にデビッド・エジャートン『戦争国家イギリス――反衰退・非福祉の現代史』(名古屋大学出版会、近刊)がある。
注
注1:片桐[2012]、393-395ページ。
注2:U.S. Census Bureau [2010].
注3:待鳥[2016]および河音[2016]。
注4:CEA [2014], pp. 42-3.
注5:CEA [2016], pp. 44-46.
注6:Ostry, Berg, and Tsangarides [2014].
注7:吉川[2009]。
注8:豊福[2016]。
注9:Crouch [2009].
注10:Stiglitz [2016].
参考文献
アセットマネジメントOne[2016]「目前に迫る米大統領・議会選挙について」10月27日。
片桐正俊[2012]「アメリカの所得分配の不平等化と税財政による所得再分配機能及び租税負担配分の実態――2000年代ブッシュ政権期を中心に」中央大学経済学研究会編『経済学論纂』第52巻第3号、3月、343-399ページ。
河音琢郎[2016]「財政政策――『決められない政治』とその場しのぎの予算編成」河音琢郎・藤木剛康編『オバマ政権の経済政策――リベラリズムとアメリカ再生のゆくえ』ミネルヴァ書房、81-109ページ。
サンダース、バーニー[2016]『バーニー・サンダース自伝』萩原伸次郎監訳、大月書店。
豊福裕二[2016]「金融危機後の住宅市場とアメリカ経済」河音琢郎・藤木剛康編『オバマ政権の経済政策――リベラリズムとアメリカ再生のゆくえ』ミネルヴァ書房、21-47ページ。
待鳥聡史[2016]『アメリカ大統領制の現在――権限の弱さをどう乗り越えるか』NHK出版。
吉川洋[2009]「経済を見る眼 資本主義はどこへ行く」『週刊東洋経済』第6204号、5月30日、9-9ページ。『Congressional Budget Office (CBO) [2011], Trends in the Distribution of Household Income Between 1979 and 2007, October 25, 2011.
Council of Economic Advisers (CEA) [2014], Economic Report of the President 2014, Washington, DC: U.S.G.P.O.
――― [2015], Economic Report of the President 2015, Washington, DC: U.S.G.P.O.
――― [2016], Economic Report of the President 2016, Washington, DC: U.S.G.P.O.
Crouch, C. [2009], “Privatised Keynesianism: An Unacknowledged Policy Regime,” The British Journal of Politics and International Relations, 11, pp. 382-399.
Ostry, J. D., Berg, A., and Tsangarides, C. G. [2014], “Redistribution, Inequality, and Growth,” IMF Staff Discussion Note SND/14/02 (Washington: International Monetary Fund).
Stiglitz, J. E. [2016], “A Nobel Laureate Explains How Trump Could Nuke the Economy,” VANITY FAIR, December 27. http://www.vanityfair.com/news/2016/12/a-nobel-laureate-explains-how-trump-could-nuke-the-economy
Summers, L. H. [2014], “U.S. Economic Prospects: Secular Stagnation, Hysteresis, and the Zero Lower Bound,” Business Economics, 49 (2), April, pp. 65-73.』
編集部註:不具合で参考文献のイタリックを表示できないため、一時的に二重鉤括弧としています。